卵が先か、鶏が先か。

卵が先か、鶏が先か。
これは昔から言われるパラドックスだ。

鶏は卵を産む。
卵は鶏に成る。

一見自然なこの現象も、ひとたび逆をたどれば議論の対象だ。
すなわち、卵が先か、鶏が先か。

進化論から言えば鶏はそれ以前のなんかの鳥(仮にイチワトリとする)が存在するはず。
イチワトリから鶏への進化は緩やかに段階的に行われるはずだ。
しかし、形質変化の積み重ねで、個体としての個性が種としての個性の幅を上回る瞬間がどこかにある。
ここを進化点と考える。

すると進化点にいる鶏が初代である。
しかし、コイツ(仮にアダムスキーとする)はたぶん一人っ子である。
(兄弟姉妹がいて、たとえ近親相姦に及んだとしても、そういうことを行えば遺伝子が劣化し、種としては消える可能性が高いと思うので考えない)

するとアダムスキーがオスであろうがメスであろうが、繁殖するにも相手が居ない。
なぜならば他の鳥はみんなイチワトリで、鶏はアダムスキーしか居ないからだ。

しかし、アダムスキーは恋に落ち、結婚して子供を作るだろう。
なぜならイチワトリと鶏は遺伝学的に近しい存在であり、種は違えど子をなすことは可能だろうから。
(ちょっと毛色の違う彼に惚れてしまう鳥は一羽二羽ではないはずだ)

続きはまた今度。